23歳になった

だからどうしたっていう感じではあるのですが23って僕にとっては結構特別な年だなあと思っていたので。


なんで23歳が特別かっていうと、あれです。同級生たちが社会に出てくる年だからです。
僕は本当にだらしない人間で、だらだら暮らして結果的に子供のまま歳だけとってしまって、必要に迫られた時にはやりたいことというよりか、出来ることをやるしかなくなってしまっていた。なくなってしまったというのは、もちろんただの力不足で、本当のところ色んな道ややり方があったに違いない。

就職活動にも失敗し、21歳の5月にして追い詰められてからは、とにかく必死でどこでもいいから就職さえして社会に出ることができればよかった。社会において一切の生きる力を持っていなかったので、どこに就職しても必ず学びがあると信じていたし、同級生たちがあと2年間大学生として学んでいる間に、何とか追いついて、彼らにないものを得てスタートしようと必死だった。本当のところ、最初の会社は2年で絶対に辞めると心に決めていた。そういった意味で、23歳は特別に思っている。


ところがどんなめぐり合わせか、すごいひとたちの会社で働く機会をもらった。正直に白状すれば、Webの制作会社なんか一社たりとも知らないし、具体的にどんな仕事してるかもよく分からないし、履歴書はコピペ量産で手当たり次第に送ったし、ポートフォリオも一夜漬けだし、面接もボロボロだし、今でも元上司に「私が人事に関わっていたら100%論外だった」とか言われたりする。それでも機会を貰って、とにかく必死にやった。幸い良い上司や先輩と、良い環境に恵まれて、何とか仕事が成り立つようになった。

それからは、仕事をくれたその人の仕事を、ひとつ残らずなくしてやることが目標で、それこそが恩返しだと信じて、身の程知らずではあったけど、またがむしゃらに動いたり、ものを言ったりでしゃばったりして、痛い目にも遭いながら為すべきことをひとつずつ潰した。残念なことに、全部は適わなかったし、助けてもらってやっとだったけれど、それでも何とかそのひとがそれまでの仕事をすっかりなくして、次に進むことができて、少し誇らしい。実のところ、自分がいてもいなくてもそうなっていたのかもしれないけれど、結果としては、やり遂げることができたのだと思っている。


そうして何かひとつ目標が満たされて、次がちょっとわからなくなってしまった。いざ自分が何かを決めたり、行動や判断に少しばかりの責任が伴う立場になって、どうしていいかわからなくなってしまってとっても迷走した。拗ねてみたり、嫌なことばかり考えたこともあったし、全部放り出して違うことをしようかとも悩んだりした。ただ、次の年の新卒の採用の話がでてきたころに、2年前の5月をちょっと思い出して、ふと気づいたら、スタートラインとしては上々なところまで、きちんと進めていたのだと気づいた。


新卒のみんなに喧嘩を売ると、僕の知る限り今この23歳になった瞬間、誰よりも自由でやりがいがあり、それでいてわくわくする仕事に就いているのは、自分だと断言できる。お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中ではな、と思うかもしれないが。どちらにせよ今の瞬間はそうだったとしても、彼らは賢くて、未来を考えてその為に頑張れるひとたちだ。僕は今現在を何とかするので精一杯だし、だからいつだって必死だし余裕も無い。

しかも、時間はそんなに長くない。好き勝手で実力が無くてもチャレンジが許されるのは、残りわずかなのではと個人的に思う。優れた会社には、たとえただ席に座って与えられたことを100%こなすだけでもお金が稼げる仕組みがあるし、150%こなせば良い待遇を受けられるかもしれない。でもそれはとっても厳しい状態で、なぜならそんな人間では若さをなくして安定を迫られた途端、毎日同じことを繰り返すことになる。そうしないと生きていけないからだ。

ここまでの2年は、仕事をする為に、プロフェッショナルであるために、自分のデスクを守るために必死だった。でもこれから2年はもっと泥臭くて、今度はご飯を食べる為に、必死だ。出来れば、肉も食いたいし、魚も食いたいし、新鮮なサラダも食べたい。もっと大人になったら、誰かに食わせてやりたい。なんか、別に高尚な目的はなくて、ただそれだけだ。


おしまい