エンジニアとデザイナー

のうみそはひとつなのに、デザインとエンジニアリング両方の知見がある人種のことを、とある国ではユニコーンと呼ぶらしい。そのくらい希少で、幻想的なものだという意味でなるほどなあという感じがします。

ひとによって定義は違うと思うけれども、僕の中ではデザイナーは「何をするか設計するひと」で、エンジニアは「どうやるか設計するひと」だったりします。だから、技術を扱うひとの中にもデザイナーは沢山いるし、きっとその逆もあるのだと思う。

自分はあまり器用に立ち回れなくて、そうですらないけれども、「何するか設計するひと」でありながら、プログラミングが出来たりだとか、「どうやるか設計するひと」でありながら、美的感覚や利便性に対するこだわりを持ち合わせているひとは、なんとなくだけどわりかしいるような感じがします。

ただ、「何をするか」というのと、「どうやるか」というのは、結構相反するところがあって、どうしたってどうやるか考えていたら何をするかというところは制限がかかってくるし、逆もまた然りなので、スキルセットとは関係無しに、結局はどちらかのコミュニティに所属して、お互いに馬鹿にし合うという程までいかなくても、大事だと思えるところや、価値観が違ってくることになったりもする。

そこで、「理想はわかるけど現実的な話をしなきゃ意味がない」とか「目的を達成しなきゃ何をしたって意味がない」と、変な宗教観でお互いを見始めてしまうのは、なんだかすごく気持ちが悪いように思います。

僕は、どうやって実現するかが大事だし、結果的にどんな良い効果が見込まれるアイデアだったとしても、一度は否定や検証を挟みたくなったり、盲目的な決断することはしたくてもできないと思う。
だからこそ、相手に求めるのは、エンジニアの悩みを分かってくれよとかそういうのではなくて、実現可否と全く関係無しに、何をすればより目的の達成に近づけるのかという、その一点に関して信頼できる意見を持つひとです。

実現の為の方法論は、中途半端にデザイナーが考えるよりか、自分が考えた方が絶対によい方法が思いつく(べき)。お互いに同じ考えを持つことではなくて、違う価値観を持ちながらも、お互いに尊重して、協力的であることが、良い結果をもたらすはず。

僕は平気で、「ここの挙動いちいち変えなきゃ駄目なんですか同じだと誰か死ぬんですか」とか言い出す人間だけど、それは設計を軽視しているわけではなく(いや、きっと軽視しているから言えてしまうんだけど)、譲れないポイントを提示して、結果どうするか話し合いをしてくれることをたぶん期待している。

おしまい。