敬称

以前は職場で君付けで呼ばれることが多かったけれども、最近はめっきりなくなりました。あまり今までは接する機会がなかったような、下手すると父親くらい年上のひとに、カワサキさんなんて呼ばれるのはなんだか少し違和感があるけれど、そういう文化なのだと思います。

思うに、きっと年を重ねるごとに、相手の年齢が下だからと言ってそれで相手を測ることができなっていくのではないでしょうか。同じ時、同じ場所に生まれたからといって、全く同じ志向性をもつわけではないのと同じように、月日が経つにつれて、その差は広がって、相手のことを理解することがきっと難しくなります。中学高校の時の友人は一生の友人になりやすいと言いますが、それは自分も例に漏れずで、あの頃はきっとお互いに同じような環境で生きてきて、同じような経験をしてきて、わかり易かったのだと思います。

ともかく言いたいことは、月日と共にそうやってひととの距離が離れていくのであれば、多くのひとに認められるようなひとになりたかったり、素晴らしいことを成し遂げたかったり、野心という名の若さを持ち合わせ必死に生き急いだとしても、そうでないとしても、きっとその場所は到達しているものであって、目指すものではないのだと思ったりしたという話です。

なんとなく自分がそう思いたいだけなのかもしれませんが、その場所が成功者のそれであるか、谷底であるかでさえもまた、殆ど運であり突然足下に発生するもので、その旅路はコンパスや地図すら意味のないただただ広い土地を歩き続けることに近いのではないでしょうか。その旅は意味もなく終わるかもしれないし、何か意味のあるものになるかもしれませんが、であれば進むこと自体は気楽なはずで、望みの持てるほうを選べば良いと思います。

つまり、そんなんどっちでもいいんじゃないですかということです。わたしからはいじょうです。