わこうど

小学生の頃の自分からすると、なんというか大人の考えることというのは欠点だらけで、もっと簡単な答えがあるような気がしていました。何故授業は9時からなのに、8時半に学校に行かなければならないのか全く理解できなかったし、国語の時間は黒板の字をノートに移すより、本でも読んでいた方がよっぽど勉強になりそうだ、なんて思っていた覚えがあります。

今そんな子供に出会って、その子と少しでも縁があったなら、たとえあまり上手く説明が出来ない気がしていても、「それは違うぞ」と言わなければと、義務感のような、責任感のようなものを感じるのは、自分だけだったりするのか、そうでもないのか、その辺りの感覚はひとそれぞれとしても、そのあるなしに関わらず、自分を含めて結果として面と向かってそれを言うことが出来るひとが少ないのは、事実なのではないかなと思います。

社会人になってからもそれはあまり変わらず、それは多くのひとが一度はかかる麻疹のようなもので、少しばかり自分や、もしくは目の前のひとを過信したり、視野が狭くなったりすることがあります。それを自分では理解できているつもりでいて、実はもう少しだけ難しい話だったりして、悪い面ばかりではないにしても、それこそもっとよく周りを知れると良いのだけれども、20歳も越えてくると、わざわざそれを教えてくれる親切なひと、というよりかは、きっとそのことを伝えられるひと自体が、あまり居なかったりするのではないかと思います。

つい最近、何度か似たような話をひととしていて、自分もまだまだわからないことばかりで、それを伝えることなんて出来ないくせに、「そのうちわかるだろう」なんて知ったようなことを上から目線で言ってしまったりしていて、思い返すとなんだかそれは人任せで、無責任で、情けない話だなあと思い、記事を書きました。自省も込めて、静かにそれを、伝えられるひとでありたい。