いつ、チームから健全さが失われるのか

何事も解決すべき原因が明確であったり、諸悪の根源がわかりやすければ、どんなに楽かとも思うけれども、実のところの問題はもやもやしたものだったりして、解決できからこそ、それが不満になっていくのではないかと思うのですが、例えば、自分がもう限界だと思った時に、更に追い打ちがあったりすると、さて、どんな因果で自分はこんな仕打ちを受けているのかと憤りが沸いてきて、その原因を突き止めてぶん殴ってやりたいと思うことがあります。

思うに、誰が望まなくても、それはそういうものだ、と受け入れてしまうことこそが、その良くないと思いつつ、誰にもどうにもならないというフラストレーションを、組織的に生み出してしまうのではないでしょうか。時に連日夜を徹して働くこともあれば、無茶振りもあるもので、楽しいことばかりじゃない、だけどそれ以上のモチベーションがそれぞれあって、Web業界とはえてしてそういうものだ、という認識、または、理想通りにいけばいいけど、そうはいかないよね、という大人らしい諦めが、そんな状況を生み出してしまうのではないでしょうか。

その大人らしさは性根の良さから来るもので、また決してそれを他のひとに望むわけでもないはずなのですが、誰かが頑張りすぎれば、チーム全体としてのキャパシティは本来の限界以上に増えていき、結果的にそれを分かち合う周りも引きずられることになってしまいます。だからこそ、タスクの大雪崩に苦しんでいる相手に対してだって、何かを犠牲にして働くことは全くたちの悪い行為で、即刻やめるべきだと言わなければならないのですが、多くの場合そこには様々な事情があって、望んだ結果でない以上、そんなこと誰にだって言う権利も資格もありません。故に、随分と具体的でない話ではあるけれども、悪い状況を受けれてしまうことそのものが、それを生み出す一番の原因になってしまうと、僕は考えます。

時に、誰かひとの為であったり、自身の責任感や誇りの為であったり、欲求に突き動かされて、無茶をしたくなったり、そうすべきだと思うことがあります。自分だってそう思う時はそうありたいし、悪いことなんて言えません。ただ、同時にそれは自分にとってばかりでなく、周りにも良い結果をもたらさない行為であるということは、忘れるべきでないと思うのです。少なくとも、それが誰かと一緒に働くということではないでしょうか。