偏差値ハイフンに、エールを。

会社勤めもようやっと5年目になりますが、転職活動などした際に思っていたのは、どうも会社というのは、「我が社は、社会にこんな重大な影響をもたらしていて、その中でもあなたは非常に重要な役職についています。」だとか、「そんなあなたに報いる為に、会社はあらゆる待遇を以て席を用意しています。」と、暗示のように語りかけてくるということです。

また、僕が会話したことのあるいくらかのひとたちの中には、自身の所属する組織のことをどんなに素晴らしく、そして自分がどんなに良い待遇を受けているのか、はたまたその逆で、どんな仕打ちを受けているのか、語りたがるひとたちがいます。また、そういった情報を元にして、「あなたって、そうなんでしょう?」と格付けたり、レッテルを貼付けてくるひとたちが居ます。

それらは全て、一種の封権的な社会にすぎないと、僕は思います。誰かから与えられた知名度、地位、それら全て、自分のものでなく、受け賜ったもので、その国が滅べば何の意味もないおもちゃの兵隊バッチです。そういうコミュニティもありだとは思います。君主から勲章をいただいて、その君主の成功が、自分の格を上げるのだから、組織のために尽くす、運命共同体として生きることは、騎士道精神から言えば立派なことで、ひとつの在り方だと思います。

でも、例えそうであるひとにおいても、やはりそのひとの実力は、組織に依存しないと僕は思います。どこでどんな職についていようが、そのひと自身が何か生み出したり、変えて行ったりする力はそのひとの所持するところで、前述の例で言えば、もしその運命共同体に対して何かしら貢献しているのだとすれば、それはそのひとの独立した技能です。

何が言いたいのかと言えば、会社組織がどんな甘言で自分に対する承認や、やることに対する意義を与えようとしてきても、自分とは切り離して考える必要があるということです。偏見である前提で聞いて欲しいのですが、学生などで、そこにある、評価、偏差値、大学名、年収、それらが格を決める社会に長く属していると、環境的に、それらと自分を切り離すことが難しくなってしまうひとは少なくないように思います。どれも重要なことで、学問というのは全く馬鹿にできないものですが、少なくともこの4年あった出来事の中で言えば、偏差値とそのひとの価値に絶対的な因果関係は存在しないように思います。

与えられた承認ではない、自分にしかない知識や技術を磨いて、間違いだと思うなら組織にも挑み、主体的に取り組む力は、かけがえのない物だし、自分が生きて行く上での糧になるものだと思います。「これって変じゃない?」って思った時に、愚痴って殺してしまうのか、何か働きかけることができるのかは、やっぱりそのひと次第で、僕は、いつか自分のチームをもってプロジェクトXに取り組むことが夢だけれど、なんかそういう力があるひとたちと、働けたら最高なんではないかと思うから、まず自分がそうありたいと思っている。